その後の大糸線(2007.2.11)

大糸線の「シュプール白馬・栂池」の撮影で大糸線を訪問したのは1991年3月でした。
それから16年が経ち、2007年2月に再度大糸線を訪問し、予想以上に大きかった16年の流れを感じました。

一番大きな変化としては当時7往復運転されていた「シュプール白馬・栂池」は2001年度をもって廃止されていたことです。レジャーの多様化によるスキー人口の減少の直撃を受けたことになります。
しかしながら、近畿地方から白馬方面へはパックツアーでの設定があり、利用者は急行「きたぐに」で糸魚川に到着していました。


糸魚川の駅前には団体票に「シュプールバス」の掲示をしたアルピコハイランドバスが白馬までのアクセスにあたりましたが、大糸線始発の418Dに乗車する人も多かったです。とはいえ、バス1台のみでアクセス輸送をまかなえるほどにスキー客が減少したことにもなります。



もう一つの大きな変化としては使用車両の変更でしょう。キハ58の2連からキハ52の単行・ワンマン運転へと変わっていました。
最初は前配置の越美北線当時のカラーでしたが、順次三代の国鉄カラーへと改められています。
1959年以前の濃紺と褐色のツートンカラーは125、朱色とクリームのツートンカラーは115、朱色5号1色塗りは156にそれぞれ施されています。




「シュプール号」の運転において増設された交換設備はすべて無用の長物となり、いずれも撤去されました。
上から北小谷・中土・小滝ですが、通過する列車がないにもかかわらず融雪用のスプリンクラーだけが何もなかったかのように作動していました。


さらには大糸線南小谷〜糸魚川のほぼ中間にある平岩でさえ交換設備が撤去されていました。ホームの右側がかつての下り線です。平岩では折り返し列車があること、また、朝には南小谷行きの始発列車418Dと後続の平岩行き422Dが続行運転となることから閉塞区間分割のためか棒線駅にもかかわらず出発信号機が設置されているという珍しい駅です。
ホーム中央に見える中継信号機は上り出発信号に対応したものです。


1995年に未曾有の大雨により平岩付近を中心に大打撃を受けました。廃止の声も聞かれる中、約2年の月日をかけて復旧しました。復旧工事により設置された護岸や砂防ダムの大きさは例を見ない大きさです。