深名線〜北の大地に消えたローカル線の最初で最後の訪問記〜

かつて北海道には多くの鉄道路線が存在しました。しかしながら国鉄〜JRの移行前後にそのほとんどは姿を消しました。深川と名寄の間を結んでいた深名線も代替道路が不十分という理由でJR北海道に引継がれましたが、後に並行する国道275号線が整備されたことなどから1995年9月3日をもって廃止されました。
今から8年前、一度も乗車したことのなかった深名線に一度乗っておこうと思い廃止直前に訪れました。

1995年7月31日、月曜日。深川駅近くのホテルを早朝にチェックアウトし深川駅へと向かいました。全線を直通する列車は早朝5:10発の5721Dしかないためです。廃止1ヶ月前ということもあってホームで待つ乗客が多かったです。
5721Dは幌加内と朱鞠内で切り離す区間運転用の車両も連結しています。
この日は苗穂所属でJR北海道カラーのキハ56 148も連結されていました。名寄まで行くのは先頭のキハ53 505だけなのであっという間に席が埋まりました。
ホームの駅名板。留萌本線側も今の駅名は「きたいちやん」に変わっています。
蝦夷梅雨の空の中を列車は走ります。鷹泊〜沼牛の幌加内峠を越えて幌加内町に入ると所々に満開の蕎麦畑が見えます。
最初の交換可能駅は幌加内。ここで最後尾の1両を切り離しました。
深名線では最後まで通票閉塞が健在で、信号てこも見ることができました。。
あまりの混雑に幌加内・朱鞠内それぞれで切り離した回送車を開放して客扱いをしていましたが、朱鞠内からは所定どおり1両となったので立席の出るほどの乗車率となりました。朱鞠内を過ぎると北海道最大の人造湖・朱鞠内湖が時々車窓に見えてきます。
名寄に到着しました。5721Dはサボを交換し朱鞠内行き5724Dとして折り返します。
名寄駅改札前の改札案内は昔ながらのタイプでした。「モジャくん」のイラストの入っている一番左は名寄本線が使っていたのでしょう。
駅近くの跨線橋で5724Dを撮影しました。
ここからは郵便局巡りと撮影のためレンタカーを借りました。
最初は国道40号を南下していきました。途中の多寄で通過する急行「礼文」を撮影しました。いまはこの列車も見られないのですね…。
和寒からは西に折れ、峠を越えて幌加内へと向かいました。途中何気に車を止めて撮影です。(左の車が乗車したレンタカーです)
沼牛東簡易局は寺の境内にあるという珍しい局です。(現在は廃局)
沼牛駅に到着しました。駅舎は無人化後もそのままで使用されていました。
沼牛駅周辺。右の白い建物の手前にかつて特定郵便局があったそうですが、廃止後は向かいの商店に併設の簡易局で業務を行っています。
沼牛駅裏手の国道から蕎麦畑の中を走る5723Dを撮影しました。
(写真をクリックすると別画面で拡大画像を見ることができます)
国道275号線を北上し、幌加内駅に到着しました。
幌加内駅の時刻表は黒板に手書きで記入したタイプでした。写真では分かりづらいですが時計には「旭鉄局」、時刻表の摘要欄には「気」の文字が入っています。
幌加内町の中心にある幌加内駅。幌加内は蕎麦が名物だったのですが食べることなく通り過ぎてしまいました(^_^;;)
一方、こちらは政和駅。沼牛と同様無人駅ですが窓に板が打ち付けられていません。
添牛内駅の駅舎は傷みが目立ちました。
朱鞠内に到着しました。先ほど撮影した5723Dは折り返し待ち中です。
朱鞠内駅の時刻表。下りには臨時列車の文字もあります。
朱鞠内の駅舎はモルタル作りでした。運転上の要衝ということもあってか他にも撮影に来ている人の姿も見えました。
1両分のホームしかない湖畔駅。北海道に多く見られる仮乗降場が昇格した駅です。
朱鞠内の構内や集落を見下ろせる定番アングルで撮影します。走行中の列車を絡めて撮影したいところですが時間の関係上断念せざるを得ません。
R275を朱鞠内湖沿いに進んで北母子里に到着しました。やはり無人駅です。
名寄へ戻ってレンタカーを返し、今朝乗ったキハ53 505の5726Dに乗車します。やはり席を確保するのに苦労しましたが何とか座ることができました。
朱鞠内で5725Dと交換しました。キハ53同士の顔合わせです。
原生林の中にある共栄駅。ホームが短いので座った席はちょうど踏切の位置でした。
このあとは幌加内で交換の5727Dを撮影したのみで深川へと向かいました。