「1両だけ」の…

気動車に限らずどの車両でも、新型車両の導入や運用の見直しなどにより転配属が行われますが、それに伴い所属区所では1両だけの存在となる例も見られます。JR東日本の気動車におけるそういった「1両だけ」の例を挙げてみました。

○キハ401006(秋アキ)
1979年の烏山線のキハ40への置き換えに伴いキハ402016として宇都宮に新製配置された車両です。
1987年のJR発足時にイメージアップとして塗装変更が行われたと同時にトイレが撤去され、キハ401006へと改番されました。
1990年3月のダイヤ改正に伴う車両需給の調整で当時7両配属されていた1000番台のうちこの1両だけが小牛田へ転属しました。


小牛田へ転属後は当時の快速運用で使用されるヘッドマーク枠が増設されて他車と共通で運用されましたが、トイレなしということで単独での運転はありませんでした。(3721D「いでゆ」 1991.1.1 仙台)


その後、仙台支社管内の他の気動車に合わせて塗装変更が行われました。(641D 1997.3.7 石巻)

1999年12月には南秋田へ転属しました。転属後も同様に他車と併結しての運用となりました。

南秋田転属後の塗装変更では五能線カラーに塗られました。(3836D「深浦」 2006.8.7 青森)


改造時期は不明ですが、南秋田転属後にトイレの窓が埋められています。(2005.5.29 弘前)


その後、男鹿線カラーへと変更されましたが、五能線で使用されることもあります。(1681D 2010.9.10 秋田)

○キハ48 523(新ニツ)
1979年に山形に新製配置された車両です。520〜522と同期の車両ですが、1986年3月のダイヤ改正時にこの車両だけが山形に残りました。1991年の山形→新庄への移管後もそのまま残っていましたが、1993年12月の奥羽線電車化に伴うダイヤ改正時に新津へ転属しました。


山形在籍時のキハ48 523。(520D 1991.1.10 山形)


新津転属後のキハ48 523。リニューアル改造を受けています(3726D 2009.4.30 中浦)

○キハ110-135(新ニツ)
水郡線の在来型車両置き換えのため1992年に常陸大子(その後水郡線営業所に変更)に配属されました。2007年の水郡線のキハE130系導入に伴う転配において、同所のほとんどの車両が盛岡や小牛田に転属したのに対し、この車両だけが新津へと転属しました。新津でのキハ110-100番台の配置は1993年以来のことになります。
新津では多数派のキハ110-200番台やキハE120と共通で米坂線・磐越西線・羽越本線で運用されています


水郡線時代のキハ110-135(329D 1998.3.1 東館)


新津転属後のキハ110-135。2両目がキハ110-200番台であることにも注意(3822D「べにばな」 2011.6.5 米沢)