濃尾平野を疾走する快速「みえ」

国鉄時代、名古屋から四日市・津・伊勢方面の鉄道輸送は並行する近鉄に押されていました。JR東海では1990年のダイヤ改正で、同区間でのシェア回復の切り札として名古屋〜松阪・伊勢市・紀伊勝浦に快速「みえ」の運転を開始しました。設定時はキハ58+キハ65の編成でしたが、翌年には増発とともにリクライニング改造が行われた5000番台が導入されています。
1991年3月12日に「みえ」へ乗車をしました。


天王寺から新宮まで夜行普通列車で移動し、一旦紀伊勝浦に戻ってから「南紀2号」で移動中、新宮で紀伊勝浦へ回送される「みえ」の編成を撮影しました。アイボリーの車体にJR東海のコーポレートカラーのオレンジのラインがスマートさを感じさせます。


名古屋に到着してすぐ、3927D「みえ7号」に乗車しました。このときは松阪方の先頭が急行色のキハ65 73でした。
500PSのエンジンを持つキハ65ですが、加速は鈍かったと記憶しています。しかしながら、高速域に達すると制限いっぱいの95km/hを保ったまま、直線で平坦路線が続く濃尾平野を駆け抜け、老朽化が進んでいるキハ58系でもまだまだ走れるようにも思えました。

3月14日、名古屋から3921Dに乗車しました。上記の新宮で見たのと同じ編成でした。同じように高速域での快走…と思いきやエア管が破裂したような音とともに速度が落ちました。前方の踏切で軽自動車が立ち往生したため急ブレーキをかけたためです。幸い、車はすぐに去り、キハ58+キハ65にも異常はなく松阪へと向かうことができました。


当日乗車した編成の名古屋方先頭車のキハ58 799。名古屋方は一部指定席となっていました。
松阪では両側にホームがある3番線に停車し、乗換の便を図っていました。


翌3月15日の3921D「みえ1号」は増結が行われ6連での運転でした。前から4両はリクライニング改造をされた5000番台の編成で、出場直後で車体がピカピカでした。


5000番台編成のキハ58はエンジンを交換したことで、伊勢鉄道内を特認による110km/h走行が可能となりました。
河原田駅ではこのような標識も立てられていました。